2006/06/08
「夜の公園」~川上弘美
川上弘美は、最も好きな作家のひとりです。
過去に読んだ作品は、
「溺レル」
「蛇を踏む」
「センセイの鞄」
「古道具中野商店」
と来て、この「夜の公園」です。
初期の、本人曰く「うそばなし」というところの、現実と非現実の境目があいまいで、なんともいえない、居心地の悪さが特徴の、文体と独特な世界観が、作品を経るに従って、どんどん行間の中に押し込まれて行ってる感じがします。
それでも「センセイの鞄」では、少しだけ残っていた現実とそうでないものの、あいまいな部分が、前作の「古道具中野商店」では、誰でもはっきり意識できる、リアリティという境目の中に収まっていて、それなのに、居心地だけは、なんとなく悪いという、ちゃんとした川上作品となってました。
この「夜の公園」では、さらにすすんで、作者を感じる独特の色さえも、行間の中にすっかり隠してしまってて、一見「川上弘美」の作品じゃないみたいです。
作品の中で、登場人物が感じる「自分は、どこにいるのだろう。」という、この世界の中の、どこにも居所のないかなしみが、この「川上弘美」っぽくない作品の中で語られた、川上弘美の世界そのもの、なのではないでしょうか。
特に、作中、離婚に至るまでのリリと幸夫の、お互いに対する心のありようは、ここ半年の、自分(たち)のそれを、もういちど繰り返し見ているようで、心の底の方に、やっと静かに溜まり始めた泥のようなものが、またぐるぐるとかき混ぜられて、ぶわっと濁った渦が巻くようです。
この主人公のように、自分の居場所を探すなどということは、もう考えることはないでしょう。そうかといって、じっとして動かないでいると、かなしみのようなものが、ぴったりと躰を覆うように張りついて、はがそうとすると血が出るぐらい、ひとつになっていくような感覚におそわれます。
気づくと、作中で春名が何度も言う「わからない」という言葉が、口をついて出ていました。
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2 件のコメント:
はじめまして、リンクバトンの「クリボウ虚無僧説」に反応して参りました、「クリボウ=マタギ説」のsatomiです(名前とサイトのフィールド、何やら記号が詰まっていて上書きできませんでした!)。川上弘美は文豪です。こないだ村上の「ねじまき」とヤスケンの「本など読むなバカになる」をセットで読んでfavの春樹を川上に換えました。お仲間がいて嬉しいです。ちょっとワインな話も好きなのでまた遊びにきます~
コメントありがとうございます。
>名前とサイトのフィールド、何やら記号が詰まっていて上書きできませんでした!
おや!早速調べてなおします。
>こないだ村上の「ねじまき」とヤスケンの「本など読むなバカになる」をセットで読んでfavの春樹を川上に換えました。
川上弘美いいですねぇ。自作はどんなになるのか?多分ちゃんと予想を裏切ってくれるんでしょうね。
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