2011/12/11

total eclipse(皆既月食)

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昨夜は皆既月食でした。

Photo By Nonaka Oikawa


自宅周辺は蝕の直前から雲が広がり残念ながら欠けていく様子は見られなかったのですが、23時あたりの完全に地球の影に入ったタイミングから1時間弱ぐらいの間、月蝕を見ることが出来ました。

赤い月のまわりに無数の冬の星たちが輝く光景はとても印象的で美しかったですね。USTREAMでも多数放送されていましたので、随分久しぶりにじっくりと月の姿を見た夜でした。

照明でいっぱいの明るい夜に慣れた今では満月は空を見上げないとわかりませんが、僕が子供の頃住んでた田舎では、少し集落を離れると、夜は月明かりがなければ真っ暗な闇に包まれるようなところでした。

僕たちの住む町には大きな川が流れていて、冬、満月の夜に沈下橋を渡って家に帰るとき、対岸の阿讃山脈の稜線、風に揺れる土手のススキ、上流にかかる鉄橋、川原の石のひとつひとつ、そして橋脚で流れを乱し静かな音を立て輝く川面...、月光はそれら一つひとつを青く照らし、昼とも夜とも違う光の世界を映しだしていました。

太陽があるときに月は見えないように、街の明かりが月や星の輝きを隠すように、月光が星の輝きを隠すように、より強い光の中では、小さな光は見えなくなってしまいます。
しかしそれらの輝きは、見えているときと変わらずそこで同じように輝いています。

見つけたいものが見つからないとき、強すぎる光から一旦遠ざかってみると、見えなかった小さな輝きを見つけ出すことができるかもしれないですね。

2011/10/31

愛媛県のFacebookユーザー数(2011年10月31日現在)

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愛媛県のFacebookユーザー数(登録者数:2011年10月31日現在)

利用者合計:16,520人 前月比:107% 
県内人口に占める利用者の割合:1.05%(全国は3.76%)

数字を取り始めて4ヶ月目となりました。今月は前月比107%と伸び率が鈍化しました。(9月度の前月比は117%)
全国の増加率も109%ということでここにきて少し落ち着いてきた感があります。
四国中央、西予で前月より減となっているのは前後の数字を見ると、前回の数字の取り方に誤りがあったのかもしれません。

また、今月から西宇和、北宇和、南宇和の三郡がカウントされ始め県内すべての市郡で数字が反映されました。

数字には住居エリアを登録していない人の数字は反映されていませんから、実際にはこれの30〜50%程度は多く見積もる必要があるかもしれません。

愛媛県の市町村別Facebookユーザー数

市町村 2011/1月 2011/7月 2011/8月 2011/9月 2011/10月 前月比 構成比 人口比 市町村人口
松山市 3,840 8,640 9,320 10,700 11,280 105% 70.08% 2.09% 511,803
今治市 329 660 800 940 1,000 106% 6.02% 0.53% 178,022
宇和島市 140 380 440 440 560 127% 3.31% 0.47% 92,654
八幡浜市 80 220 260 260 260 100% 1.95% 0.61% 42,323
新居浜市 380 800 820 980 1,060 108% 6.17% 0.77% 126,708
西条市 180 400 420 620 700 113% 3.16% 0.53% 116,259
大洲市 60 180 160 180 200 111% 1.20% 0.35% 52,144
伊予市 40 140 120 180 200 111% 0.90% 0.58% 31,131
四国中央市 20 500 540 640 540 84% 4.06% 0.67% 95,514
西予市
80 80 140 100 71% 0.60% 0.30% 46,499
東温市

140 220 260 118% 1.05% 0.64% 34,376
上島町
40 40 40 40 100% 0.30% 0.49% 8,218
久万高原町



40


11,614
松前町/砥部町
80 140 140 160 114% 1.05% 0.26% 54,076
内子町
20 20 20 20 100% 0.15% 0.10% 20,646
伊方町



20


6,530
松野町/鬼北町



20


17,696
愛南町



60


28,294
合計 5,069 11,920 13,300 15,500 16,520 107% 0.30% 1.05% 1,474,507
日本 2,553,650 3,995,560 4,425,140 4,819,140 5,241,440 109%
3.76% 128,056,026
Facebookページ=>Facebookに広告を掲載の予想配信数を抽出 最小単位20人
上記以外の市町村はデータなし
人口は2010年4月現在

2011/10/06

PStTV 第45回(2011年10月05日放送)

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PStTV 第45回(2011年10月05日放送) PStTVブログより転載

オープニング

ブログでは初めましてのアシスタントまっすぅです。今回は私が記事担当させて頂きますのでよろしくお願いします。
2ndシーズンに突入し、隔週で水曜日20:00〜お届けしているPStTV、なんと、今夜はしょっぱなからゲロッパさんより重大発表がありました!
2ndシーズン3回目にして、早々にゲロッパさんがマイクをそっと置くのか…と思いきや、入籍発表というとってもおめでたい話です。\(^o^)/どうか末永くお幸せに~!
また、まっすぅからもお知らせがありました。去年PStTVに出演していただいた松山モードフェスに、まっすぅもモデルとして参加することになりました。松山モードフェスとは、松山を若い力で盛り上げていこう!という思いから開催される、今年で4回目を迎えるファッションショーです。秋冬の最新ファッションがチェックできますよ。10月10日(月・祝)は是非大街道へ!!

スマホ女子必見!え、漏れてる!?

最近、身の回りでもスマホ率がぐんぐん急上昇。私も流れに任せてよくわからないままスマホに機種変更した女子の一人です。
そんな女子も、きっとたくさんいるはず!ということで、ゲロッパさんよりガラケーとスマホの違いなどを詳しく教えていただきました。

このお話を聞くまで、私もこれまでのガラケーと全く同じ感覚でスマホを使用していました。自分の知らないところで、あの人とのメール、あの日の写メ、あの人のアドレスが漏れているかも!?便利の裏側には危険も潜む…自分の身は自分で守らねば!

ゲストトーク カレイドスコープ作家  二神健(ふたがみたける)さん。

今回ゲストとして来ていただいた二神さんは、カレイドスコープ作家として、たくさんの作品を制作されています。カレイドスコープの歴史や使用している鏡のことなど、詳しく教えていただきました。

ところで、カレイドスコープとは万華鏡のことってご存知でしたか?幼い頃に覗いていた万華鏡は、千代紙が周りに貼られていて、筒を回すとビーズやスパンコールが「ガサッ」と移動していくようなものでしたよね。
しかし、今回二神さんに見せていただいた作品は、オイルの中に色々なモチーフを浮かべているタイプで、ゆっくりゆっくりと図柄が変化していくのです。その様子は高級ステンドグラスのよう!見せていただいた作品の中には、砥部焼を細かく砕いたものや真珠を使用したものもあり、大変興味深かったです。

一度覗いてみるとカレイドスコープの印象がガラッと変わること間違いなしです。
不定期でワークショップも行っているそうなので、興味のある方は是非一度お問い合わせくださいね。

メガネ男子による陰謀説談義…

マヤ暦によると今月地球が終わる…!?だったらピーストあと1回じゃないか!というお話から、光の速さで進むと過去へ?未来へ?などなど、まっすぅにはちんぷんかんぷんのお話です。
もし過去の自分に会えたら、私だったら何て言うかなぁ?みなさんは何を伝えますか?

「えひめの贈りものならコレだ!」今週は「かぼちゃとナッツのタルト」

今回の「えひめの贈りものNo1」候補は、大洲市の「らりるれろ」さんのかぼちゃとナッツのタルトです。
餅麦で作られたタルト生地にあまーい栗かぼちゃを使用したフィリング、上にはたくさんのナッツがぎっしり!!絶賛歯科矯正中のまっすぅは歯が痛くて、今回は、前世はスイーツ改め、全身スイーツのオダゾーさんにコメントをお願いしました。スタジオ中に広がる香ばしいナッツの香りに一同くらくら。是非一度ご賞味ください!

「らりるれろ」さんの「かぼちゃとナッツのタルトはこちらからご購入いただけます。

以上ここまでの記事はまっすぅがお届けしました。

エンディング

そしてエンディング

今日は、放送開始の遅れや、中断などがあり、皆様には大変見苦しかった部分があったことをお詫びします。次回よりさらに放送前の調整やテストなどさらに徹底的に行い、遅れや中断のないようにいたしますので、今後もPStTVをよろしくおねがいします。(ゲロッパ)

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Stive Jobsがいた世界

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Stive Jobsが2011年10月5日に死去した。



自分のことをすこし書いてみる。

1985年 コンピューターの販売の仕事についた。
初めて使ったマシンはMachintosh128kだった。
店長は「これならお前でも使えるだろう」といってMacPaintでフロッピーディスクのプライスカードを作る仕事を私に命じた。

「キーボードは使ったことがあるか?」
「少し」
「マウスは?」
「いいえ、ありません」
3分ぐらいの簡単な説明を受けて、その仕事にかかった。

TDKとMaxellとNECとFujitsuとCanonの5’2HD、5’2DD、3.5'2Dのカードを、Chicago, Geneva, New York, Monaco, Venice, London,AthensのFontの中からNew Yorkを選んで、StyleをItalicにしプリントし、ハサミで切ってガラスショーケースの中のカードケースに入れ店長のチェックを受け、私の仕事は1時間ちょっとで完了した。

時はNEC PC-9801シリーズの発売で、研究者やホビィストのものだったパーソナルコンピュータが一気にオフィスに導入されはじめた。私の仕事はどんどん忙しくなっていった。

やがて店長になっていた私は売れに売れどんどんライナップを拡げるPC-98シリーズを展示するため、100坪の店内でMacintoshのスペースはどんどん少さくしていった、あのときのMacintosh128kはショールームの端っこに追いやられ、その小さなモニタの上にキーボードを乗っけていた。


1996年 出版社に転職した。
業界はデジタル化への移行前夜の時期だった。System7のフリーズに辟易としながら、毎月深夜まで何千枚の写真をPhotoshopで加工し、QuarkExpressにテキストを流し込む退屈な作業とバカ高いハードウェアとAdobeとモリサワのパッケージを寝不足の淀んだ目で睨み「これはコンピューティングじゃない、これじゃ人は機械の奴隷だ。」と考え行動を起こした。

一年後には独自のWindows+AutoCADベースの自動組版システム導入、自動化のため社内ネットワーク、サーバーの構築、周辺システムの開発を行い、毎月6人が1週間かけた作業は、一台のWindowsマシンが1人のオペレータで2日でこなすようになった。

その後、AppleにはJobsが復帰し、再びイノベーションを起こしていた。
MacOSはPantherになっていたが、DTPシステムのQuarkExpressはOS-Xへの対応が行われなかった。
CTOだった私は、DTPシステムをAdobe Indesignに移行すると同時に、社内からMacを無くし、Windowsへ移行する判断を行った。


2010年 4月末のGW前。
思いがけないことから国内販売に先駆けてiPad(US WiFI64モデルGB)を入手することになった。
Twitterで友人に「二人で開封式でもやる?」とメンションを投げたら、たくさんのフォロワーから「参加したい」というリプライがありそれがまたRetweetされ、またたくまに拡がった。十数人の申し込みと会場提供の申し出がありGWの終わりの日に「開封式」を当時話題になりかけてUSTREAM中継で行った。

AppleによるタブレットPCというコンピューティングの未来の提示と、インターネットでの生中継とTwitterによるリアルタイムなコミュニケーションにみんながエキサイトした。

翌6月に、USTREAMによるレギュラー放送の番組開始を決め、7月7日にそのスタジオのある地名をつけた番組「PStTV(Peace-Street TV)」の第1回を放送した、試行錯誤を繰り返し、多くの仲間を増やし、途中の中断をはさみながらも放送回数は先日45回を超え、私の新しい仕事になった。


そして今、壁紙をMachntosh128kにしたMacbookAirを前にして記事を書く手を止め、LCDの右のiPadにJobsの写真とSteve Jobs 1955-2011の文字を見た。

Stive Jobsがいた世界とStive Jobsがいない世界との違いって...と一瞬考えてやめた。



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2011/10/03

「はじめまして、ラジオです。」改め「お供します、ラジオです。」

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このNHKと民放各社が共同で行うはじめまして、ラジオです。」キャンペーンに大いに疑問を感じている。




これはBLOGOSで、TBSラジオの加藤嘉一社長がインタビューに答えた記事


氏いわく

「ラジオは嫌われたわけじゃない、知られていないのだ。面白いか面白くないか、戦ってもいない。TV・新聞と同じように「ラジオ」というものがある事を、若者に知ってもらいたい」と

これだけど、ほんとにラジオを若者に知ってもらう必要はあるのか?
ラジオ局で働く人やその家族にはもちろん未来はある(必要だ)が、ラジオというメディアが進むべき未来は本当に残されているのだろうか?



 ラジオの現状を簡単に説明しておこう。セッツインユース(ラジオを聴いている人を全て合わせた数値)は6~7%台(首都圏)。全部の局の数字を合わせても、これしかないのだ。
   その内訳を見ると
    • 12~19才 0.8%
    • 20~29才 2.7%
    • 30~39才 4.25%
    • 40~49才 7.2%
    • 50~59才 9.05%
    • 60~69才 13.85%
      • (2011年4月 首都圏データ)

上記から各年代の2015年の人口予測(注)に基づいた人数を掛ける

 18〜25歳 1,800万人 × 2%=36万人
 65歳以上  3,589万人 × 14%= 502万人



 (注)
 人口統計データは以下を参照 
 http://benesse.jp/berd/center/open/dai/between/2010/04/01toku_54_b.html
 http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2007/gaiyou/html/jg110000.html
 2%と14%はそれぞれ上記ラジオの現状から年代別の率をアバウトに算定。 
  
この数字を見て明らかなのは、2つの世代間でほぼ14倍の差があり、当然メインであるお年寄り層のユーザーがはるかに多い。
ということは、若者に受ける番組をつくってお年寄りの視聴者離れを起こせばメディアのリーチそのものが縮小してしまう。確かに将来的には若者に訴求したい気持ちはわかるが、ラジオというメディアがそれまで生きながらえることが出来るかという根本的な問題だ。



ラジオは若者に秋波を送るようなキャンペーンをやめて、ただちにお年寄りによりそうメディアに戻るべきである。
キャンペーン名は「お供します、ラジオです。」で決まり。