私は「アラブの春」の一連の動きの中で、チュニジアやエジプトと、リビアを同列に報じるマスコミの姿勢、特にアルジャラーラの反政府(反カダフィ)勢力支持に偏った報道に強い違和感をいだいていました。
それは私自身がリビアのカダフィと、チュニジアのベン・アリやエジプトのムバラクとはその政治手法も、過去から現在における革命家としての実績とその後の治世においても、おなじような一連の反政府運動の流れとは全く違うなにかがあると感じていたからです。
日本では、例に漏れず、捕らえられたカダフィと直後に射殺された映像がセンセーショナルに報道されたぐらいで、背景や踏み込んだ報道は望むべくもありません。
西側諸国やネット論壇での論調も概ね、リビアも、カダフィが独裁による圧政からの開放、自由を手に入れた新しいリビアという報道が大勢を占めていました。
とくにその世論形成をリードしたのがアラブを代表する報道メディアであるアルジャラーラによるものでした。西側諸国とは論調を相容れることなく独自な姿勢と視点で報道を行うアルジャラーラがリビアのカダフィ政権に対しては特に苛烈な反対姿勢をであったことも私には非常に不可解でした。
日本赤軍のリーダー重信房子とパレスチナ人の父の間に生まれ、中東で育ったジャーナリスト重信メイによって書かれたこの本には、そういった一連のメディアの動きによって作り出されたリビアの「革命」がどういうものだったのかが語られています。
アルジャラーラはそもそもカタール王国が興した報道機関です。
アラブの大国サウジアラビアに併呑されることに常に怯える小国カタールがメディアという力を手に入れ、中東での存在感を得るために設立したものです。
やがて湾岸戦争や、9.11のビンラディン報道などにより、アラブを代表する報道メディアとして存在感を確立し、そのプロフェッショナル集団としての報道姿勢は世界のメディアからも一目置かれています。カタールの思惑で報道が左右されることはないように振る舞ってきましたが、カタールに対してはアンタッチャブルであるというのが事実です。
そのアルジャラーラに実質的には影響力を持つカタールは、アラブの天然ガス利権で競合するリビアのエキセントリックでありながらアラブ社会への強い影響力を持つカダフィの存在を抑えるため、リビア反政府軍に武器、資金、メディアで協力をしようとしました。
アルジャラーラは一連の苛烈な反カダフィ報道によって「反政府の声を上げる民衆をミサイルと銃弾で殺戮する独裁者カダフィ」という報道による印象操作と世論形成に成功を行い、邪魔者カダフィを排除することに成功し、アラブの天然ガス資源をコントロールできる力を手に入れることが出来たという筋書きです。(もちろんこれを影から支援した西側諸国の思惑と連動した動きもあるはずですが、このへんは本書では詳しくは語られていません。)
確かにチュニジアやエジプトの動きはソーシャルメディアをいう新たなチカラを手に入れた国民が、それによって圧政をはねのけ自由を手に入れた物語として語られています。事実そういうチカラが働いたことは間違いありません。
筆者は「メディアによって捏造された『アラブの春』~リビア内戦」の章の以後に
「アラブの春」とひとくくりにされていますが、そのすべてが「革命」だったわけではありません。リビアの例はその象徴的なものだったのです。
と結んでいます。
重信 メイ
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