ネルソン・マンデラという希代の指導者の物語を、同国で1995年に開催された、ラグビーワールドカップでの自国優勝という実話を中心に構成された作品。
製作総指揮:モーガン・フリーマン
監督:クリント・イーストウッド。
主演:モーガン・フリーマン、マット・ディモン
以下ネタバレあり(ってもほぼ実話なんですけど)
淡々と進むドキュメンタリー映画のような展開から、ドラマの最後、南ア代表チーム通称スプリング・ボックスの優勝で迎えるカタルシスへの演出は、クリント・イーストウッドらしく、多くは語らず、共感する登場人物に対して湧き起こる観客のさまざまな感情、そして観客自身が持つアイデンティティや生き方をも作品の一部としてしまう彼一流の演出手法で描かれる。
作品は、観客に政治的なメッセージを伝えるものではなく、かといってスポーツ感動映画でもなく、ネルソン・マンデラという一人の人間と、そして彼が作り上げたかった、南アフリカ全員が共有できる誇り、そして彼と彼の国の国民たちが、ひとつになってそれを成し遂げるまでを描いた物語。
冒頭で描かれるマンデラ以前の南アフリカでは、白人達がラグビーをする芝のフィールド、黒人達がサッカーをする土の荒地が、それぞれ、道路の両側に高い頑丈そうな柵と、今にも崩れそう金網のフェンスによって隔たれている。
大統領となったマンデラは、南アフリカという一つの国の中にある、分断された2つの国民を、1つにまとめるという理想を掲げる。そしてそれを実現するために、彼自身を30年近く監獄に閉じ込め、家族や親族を蹂躙し、同胞を苦しめつづけ、国際的にも避難された、人種差別主義政策をとった前政権に関わった者さえも許し、そして仲間としてともに進むことを、自らの言葉と行動によって示す。
「過去は過去なのだ。我々は未来を創ろう、そして私はそのためにすべてを捧げよう。」
指導者の言葉と行動は重く、だからこそ国民はかれのもとに、一つになり、不可能と言われた自国開催でのラグビーワールドカップ優勝という偉業を成し遂げることに成功する。
クリント・イーストウッドとモーガン・フリーマンは、ネルソン・マンデラが27年間獄中で自分の信念を信じつづけ南アフリカを変えたように、映画がもつ力を信じて、そして自分を信じて、そしてそれによって人は変われるんだということを訴えたかったに違いない。
かたや、現在のわが国の指導者はどうかというと、期待を一身に背負って登場した新政権は、国民との約束を当然のように反故にし、ウソやごまかしの露呈に困窮し、うつろな目で、ただただ口に張り付いたような言い訳ばかりに終始する。すでに政治の指導力は破綻し、国家は進むべき道も、希望も失って久しい。
それでも、現在の南アフリカに比べても、日本の方がずいぶんと豊かで、平和で、衛生的であるし、世界的にみても恵まれた国に住む我々ではある。
しかしこの平和と豊かさが、現在のような指導者不在の状況のままで、次の世代(我々の子供たちが大人になったとき)にも、「変わらず続く」と盲信しているとすれば、それはあまりにもナイーブ過ぎるのではないかと考えさせられるのだ。
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