毎日新聞の今日の文化欄の北田暁大(きただあきひろ)氏のコラム「リテラシーはどう変わっていくのか?」を読んで考えたこと。
以下北田氏のコラムから一部抜粋
(写真は本文と関係ありません)
私たちの情報環境はすでにそうしたドラえもん的世界像を現実化しつつある。たとえば、「アマゾン」のようなネット書店では、顧客が以前に購入した商品のデータにもとづき、個別にカスタマイズされたおすすめ情報を提供したりしている。いわゆるフィルタリング(ろ過)である。
音 楽、ニュース、ファッション・・・・・そうしたものに対する「私」の好みを、 ことごとくコンピューターが教えてくれるようになる日はそう遠くないであろう。いってみれば、自分の個性を個性たらしめる文脈を、コンピューターが「私」 に代わって検索してくれるようになる、ということだ。
<中略>
個人情報の痕跡をネットワークに残すだけで、知らないうちに整合的なーー文脈づけられたーー「私らしさ」を更新し続けることが出来るのだ。
北 田氏が言うところの、ネットによって「私らしさ」が作られるということは、すなわち、「私」の趣味や嗜好の中の一部の情報から、「私」の全体を簡単に補完 してくれるということ。人間の一生の中で、様々な紆余曲折を繰り返しながら作り上げられる「アイデンティティ」のサンプルが簡単に検索できて選ぶことが出 来る。
そこに示されたサンプル達は、どんな本を読み、どんなモノに囲まれて生活し、どんな人を愛し、どんな人生を送るのか、存分に選ぶだ けの数え切れないほどの パターンが用意されている。ありとあらゆる個性のパターンがネット上に蓄積されていく、そしてやがて人格を形成するに足る情報が集積され、ありとあらゆる 人格の情報がネット上に用意されていく。
過去、言葉を手に入れたときから、優れた情報伝達装置であった人間の情報処理量は、すでにネット で交わされる情報量の増大のスピードに追いつけず、脳は外部記憶がある世界を前提として、すでに膨張をやめている。情報は自身を次世代に伝えていく情報伝 達装置、記憶装置としての人類に 見切りを付け、ネットの中で生命体としての産声をあげ始めているのではないか。
かつて、地上で無機質が有機質に変化していった、そんな劇的な変化に、我々は立ち会っているのかも知れない。
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